神社の『狛犬と獅子』の正体 神社が日本人に伝えるメッセージ

神社に置かれている狛犬と獅子
その正体は、

狛犬=ユニコーン
獅子=ドラゴン

日本の天皇家の隠された紋章にも、右にドラゴン、左にユニコーン、真ん中の菊の紋章の下に12匹の聖獣がいますが、これは日ユ同祖論、イスラエルの12支族を表すのではないか、と言われています。

この右にドラゴン(獅子)、左にユニコーン(狛犬)の配置は神社での配置と同じです。(建立された年代により相違あり)

この配置に秘められた意味

まず、狛犬・ユニコーンについて、
ユニコーンとは、1角のツノがある聖獣であり、このツノは人を癒す、病気を治すと信じられていました。
旧約聖書によると、この聖獣はキングであるライオンには逆らえないと記されています。
そして、とんでもない暴れ馬であり、他の動物を攻撃する為、ノアの方舟には乗せてもらえませんでした。

その暴れ馬であるユニコーンが唯一なつく存在として描かれているのは、人間の無垢な女性。
この世で最も無垢な女性として代表的に語られるのがキリストの母であるマリア。

聖母マリアの象徴と結びつき、中世の動物寓話集「フィジオロゴス」では、ユニコーンは処女にしか捕まえられないとされ、この「処女」をマリア、ユニコーンをキリストになぞらえる解釈が広まりました。

そして、ユニコーンが乙女の膝に頭を乗せる場面は、キリストが人の子として宿る瞬間の寓話的表現とされ、ステンドグラスや写本の挿絵に受胎告知の象徴として使用されてきました。

この流れから、中世よりユニコーンはキリストを象徴する動物であるとされたのです。

現在では、イギリスの国章としても使われています。

このユニコーン、日本では伝説上の生き物『麒麟』として伝来します。
古代中国には一角のツノをを持つ龍の存在が伝説として語られていますが、その龍の名が『キューロン』
この一角龍が日本に伝説として渡ったときにキューロンからキューリンに発語が変化し、それが日本で伝説として語られる『麒麟』となりました。

麒麟-Wikipedia

ユニコーンは麒麟であり、狛犬

ユニコーンはキリストを表す聖獣であり=『救世主』

次に獅子(ドラゴン)について、

このライオンとされる動物が真に表しているのは龍なのですが、古代では「ライオン」と「蛇」が合体したものを「ドラゴン」としており、古代マヤの遺跡では、「ククルカン」という毛の生えた蛇の存在が龍神として崇拝されていました。

古代日本においては、四神相応という考え方があり、東西南北をそれぞれの神獣が守っていました。西を守護する白虎は首が異様に長く描かれ、明らかに白龍の様相をしています。

白虎-Wikipedia


昔から首や胴が異様に長く描かれたトラ・ライオン・ネコ科の動物は全てドラゴンだと言われています。それを分からないように、隠すために、実際のライオンに近づけて描くようになりました。

西洋のデミウルゴスという神は、顔がライオンで体が蛇として描かれていますが、古代ギリシャの哲学者プラトンによると、このデミウルゴス(龍)という神がこの世の『創造主』であると言っています。

以上のことから、日本の神社には、
左に『救世主』(ユニコーン)
右に『創造主』(ドラゴン)

がいる。という事になります。

左にいる狛犬(ユニコーン)は、口を閉じた姿で作られるのに対し、右にいる獅子は、まるで咆哮しているかのように口を開けた姿で造られていることが多いです。
これは「阿吽(あうん)」を表現しており、「阿」は五十音の始まりの「あ」を表し、「吽」は「ん」を表します。これは宇宙の始まりと終わりを表すと言われています。

=左はα(アルファ)始まりを表し、右はΩ(オメガ)終わりを表す。

つまり、日本の神社の狛犬と獅子は、『創造主で始まり、救世主で終わる』というメッセージを私たちに送っています。

私たち一人一人が、己の放つ周波数で現実を創り出していく創造主。神社とは、俗世での汚れを祓い、「神」へと生まれ変わりの儀式をする場所。
はじめは創造主、この世の終末期に日本人1人1人が救世主になる。

日本人の覚醒が鍵となる。

日本人にとって馴染みの深い神社という場所には、その随所にたくさんの意味が込められています。

神社の最初にある鳥居は女性が脚を開いている状態を表し、参拝とは、参道(産道)を通り、お宮(子宮)でお参りし、そして鏡に理想の自分を写し、(理想の自分とは「か(が)み」から「我(が)」を取り、「神」である自分)神に生まれ変わり、再び、産道を通り鳥居を出て外の世界へ出るということなのです。

参拝する際に鳴らす鈴と紐は男性器を表し、賽銭は精子を意味します。神社のしめ縄が3本で螺旋を造るのは遺伝子構造を表しているからです。
人間の遺伝子構造は、本来12本のDNAが活性化しており、3重螺旋構造でしたが、ある宇宙存在(アヌンナキ)により、人間を奴隷として扱い能力を制限するために、現在の2重螺旋構造にされたそうです。本来は三重螺旋であったこと神社は示しています。

神社に参拝するという行為は、俗世での汚れを祓い、清い状態、理想の自分に生まれ変わる儀式を行う。そんな場所でもあるのです。

『三礼三拍手一礼』

『祓い給え(はらいたまえ)、清め給え(きよめたまえ)、神ながら、守り給え(かみながらまもりたまえ)、幸え給え(さきわえたまえ)』

現在は「二礼二拍手一礼」が一般的になっていますが、明治以前は「三礼三拍手一礼」が常識でした。
「三」にはいろいろな意味が込められています。古くから聖なる数として扱われ、神様は「三」という数が大好きです。この「三礼三拍手一礼」は古事記において最初に出てくる三柱の神様に向けて行うもので、この「三」という数字は産道=三道にも通じ、とにかく大事な数字なのです。

三拍手で神界が開くのに対し、二拍手で神界が閉じる。そのため、神に何も伝わらず、日本人の覚醒を阻止する「封印の儀式」の意図があるとされています。戦後GHQによって本来の参拝方法が変えられたという説もありますが、奪われたのなら取り戻す。

日本の三柱の神様に礼を尽くす参拝方法。それが「三礼三拍手一礼」であると私は思っています。

※出雲神社は「二礼四拍手一礼」。一部神社によって決まった参拝方法がありますので、その場合は神社の作法に従うのが良いとされます

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